旅風里美の気まぐれスタイル さとみスタイル Satomi style

自分らしさとは…それを追求していくことがムダのないスタイルを生み出していく

 生活が苦しくてたまらないと言う声が多くなっている。確かに生活保護受給額以下の収入だと生活は苦しい。光熱費や税金や保険料の滞納が日常化する。そこまで低収入なら確かに生活は苦しい。

 しかし、単身で暮らすには十分な額の収入があるにも関わらず、生活が苦しいとなると、多くのムダがあると言える。

 多くの場合、まわりがやってるからと特に興味のないことや必要に迫られていないことをやってはいないだろうか。また、自分に絶対必要性がない物を買ってはいないだろうか。自分にとって何が大切か…そう自分自身を詳しく知る必要がある。


オンリーワンのライフスタイル
それともあぶれてる?

 みんなと同じ生活…それができない時代に入って来ている。毎日飲みに行ける人、週1でなんとか飲みに行ける人…同じ会社内でも経済力によって差が出ている。そして余裕がなくなっている現在、付き合いで飲みに行くにしても、飲み代工面するのも苦しい人もいる。これが裏金や横領を生む土台となってしまう。

 また、旅行に行くにしてもドライブするにしても、その人の経済力でどこまでできるかが違ってくる。それは経済力の弱いものたちが疎外され、つながりを失った結果、更なる貧困に陥ると言う悪循環にもなってしまう。

 自分が何を楽しみにしているか。何を大切にしているかをじっくり考えなければならない。そして、自分にとってのオンリーワンに集中投資してその他を捨て去る必要性がある。テレビの番組が糞だと思うなら、テレビを持たなければいい。テレビを買い替える費用もいらないし、テレビがなければNHKの受信料を払う必要もない。

 また、大人数で行動するなら車は必要だが、1人か2人で行動するなら、電車で移動した方が安くつく。ドライブが楽しみというわけでないなら、駅から近いなら、鉄道を有効活用した方がいい。

 酒が好きで1人で飲む場合が多いなら、バーコーナーを作っていい酒を集めて家飲みにした方が安くつく。そうして浮いた金で、たまにいい店に行くという楽しみもある。

 もはや、まわりと同じようにはできなくなって来た現在、自分にとってのオンリーワンのこだわりや楽しみを大切にして再構築することが必要ではなかろうか。

 

疎外感を感じる?
それなら自分らしさを追求してみれば

 日本はまわりに合わせることを重んじられる傾向がある。人と違うことは、仲間はずれにされることも多い。しかし、それは正しいことなのだろうか。

 宮崎勤の事件で、それを教訓にできたのだろうか?加藤智大が起こした秋葉原の事件から何を学べたのだろうか?社会は何も学んではいない。だから同じ事件がくり返し起こる。オウムの信者は未だに「アレフ」と「光の輪」という二つの宗教団体に分かれ、社会はどうかしようとはしない…いや…社会が社会復帰を許さないのだ。そして、社会から疎外された人たちは、ネット上で無責任な発言を垂れ流す。

 それでいいのだろうか。人を傷つけて、自己顕示欲を満足させようと躍起になって。そして、気がつけば、被害妄想に駆られ、まわりに対して攻撃的になっていく。そうならざるを得なくなった今の社会…。

 ちょっと待って…破滅に向かって走るより、自分が何者なのかをじっくり考えてみるべき。何をしたいのか?どう生きたいのか?何ができるのかを。

 散策したければすればいい。旅に出たければ出ればいい。酒を飲みたければ飲めばいい。食べたいものがあれば食べればいい。人間は自由意志を持っている。自分の自由意志で何をやろうか考えて行動すべきだ。人の言うことなど、その人の自分勝手な言い分だ。

 そして、自分で考えて自分のスタイルを作り出すべき。人に決められてスタイルではなく。大きなことではなく、小さな所から。そして、自分が自分であることが分かってくれば、おのずと何をやればいいかを、何がやりたいかが…わかってくるはずだ。